2018年2月27日火曜日

スマホのすごさ(4回目)

こんにちは。とうとう4回目ですね。今日は寄り道しないで早速本題に入りましょう。
例2でしたね。昨日の例1はすでにスマホを与えてしまった家庭でのルールについて書いたものでしたので、今回はまだスマホを与えていない家庭でのルールについて書いてみましょう。

ルールの基本は、なぜ今スマホが必要なのかを子どもと一緒に話し合うことだと思うのです。仲間とのことではなくそれぞれの家庭としての課題として話し合うことだと思うのです。そこから出発すれば、おのずとルールはできていくと思いますね。親としての考え、つまりお子さんを大切に育ててきたこと、そしてこれからも大切に育てていきたいことを話してあげるんですね。子どもは子どもの理由で説明してくると思います。その結果として、いつ与えるか、どういうふうに使うか、安全な使い方はできるか(これについては学校でも指導してくれているはずです)、フィルタリングはどうするか(これについては完全ではない、いや不完全であるという認識が必要だと思います)、管理はどうするか、などですね。
爺の経験からすると、「学校でも指導した」「家庭にも知らせた」「教育委員会からも保護者向けに啓発通知が出た」「学校区内の教育意識も比較的高い(といわれている)」などの理由から、私の学校ではスマホや携帯電話を持ってくる子はいないだろうと思っていたところへ、地域の方から「学校帰りに携帯電話を出しながら帰っていた子を見ましたよ。指導してあげてください。」との連絡をいただいたのですね。もちろん、各クラスで指導をしましたが、学校としてはそこまでですね。要は携帯電話を与えた大人側の管理なんですね。うちの子は危険な使い方はしないから大丈夫!という認識が強いのかもしれませんね。うちの子が学校に持って行くはずがない。きっと与えるときに十分に約束、つまりルールですね、をしたと思うんですね。そして大丈夫!大丈夫だろう。大丈夫に違いないと。だけどそれでも携帯電話やスマホの誘惑っていうんでしょうか、魅力っていうんでしょうかね、それに負けちゃうのが子どもなんだと思うんですね。これ、携帯電話やスマホに限ったことではなくてゲーム機やゲームソフト、カードゲームなんかについても同じでしたね。子どもを疑えってことではないんですよ。子どもは信じてあげなくちゃいけないですね。だけど、たまに約束やルールを確かめ合うっていうことが、よりよく子どもを成長させていくためには大切なことなんだと思うんです。
おっと、ちょっと脇道にそれましたかね。でもこれってとても大切なことだと思います。

次に、親がスマホを子どもの目の届くところで使わないことも効果があると思いますね。これは直接のルールではないのですが大切なことだと思いますね。大人が子どもと一緒にいるときに、至極普通にスマホをさわっているとしたら、それを見た子どもは、やはり触りたくなる・いじりたくなる・使いたくなるのではないでしょうか。これ自然な流れだと思うんですね。乳幼児期の子どもがいるとしたらなおさらのことだと思いますよ。こんなところから、親によるスマホ教育?が始まっているんだと思うのですね。

そして、どうしてもスマホが必要になったとき、どうしますか?
ルールを作ることを前提としても、家族割りや学割で安いからとすぐに与えてしまいますか?クリスマスや誕生日のプレゼントにと与えてしまいますか?いや、まだやれることはあると思いますね。特に中学生段階(もちろん小学生も含みます)の子どもには、親のスマホを使わせるという期間があってもいいと思うんですね。一緒に使いながらその便利さや安全な使い方、怖さなんかを確かめ合っていけたらいいと思うのです。
実際に、子ども一人でスマホを使っている環境の中で、架空請求とかあったら子どもはどう対応するんでしょう。今はあの手この手で、大人でも驚くような方法で忍び寄ってきますからね。

最後に、学校での指導についても書いておきますね。
学校はほんとうに一生懸命指導をしてくれていると思っています。なにしろ、家庭の責任で与えたスマホの指導をやっていただいているのですから。ただ、せっかくの指導もいつも同じ内容(網羅的な内容が多いかもしれませんね)であったり、同じ講師(通信会社のインストラクターなど)であったりでは、スマホの進歩には追いつけない可能性が高いですね。親子一緒に事例(実際や架空)をもとにした検討会形式のものなども有効かもしれないですね。

スマホって大人にとったら便利でほぼ安全なツールだと思います。でも、大人が思う以上の危険が子どもの隣り合わせにいるんだという現実も認識してほしいと思うんですね。うちの子だけは大丈夫!はないのです。そう思いますね。成長途中の子どもにとっては一人で確かな判断をするのはとても難しいことだと思うのです。
心配しすぎていますでしょうか?子どもの判断力を信じて子どもにすべてを任せた方がよいのでしょうか?
でも、実際に事件は起きているんですね。そこまでいたらないけれどその淵まで行ってる子どもがたくさんいるんだと思うんですね。だから早く、そう一刻も早くですね、大人が家族が行動を起こすときなんだと思っているんです。

スマホのことを書き始めて、いったい何字くらい書いたでしょう。だらだらと書き綴ってしまった反省もあるんですけれど、まだまだ書き足りないところもあるんですけれど、スマホのことについては今回で一応のまとめにしたいと思います。
スマホってほんとうにすごいですね。すごいツールだと思います。これからの社会を変えていく力を持ったツールだと思います。でもそのすごさゆえに、子どものすぐとなりに危険が近づいてるんです。大人の知らないところで。
大人の皆さんのご健闘を期待します。

2018年2月26日月曜日

スマホのすごさ(3回目)

こんにちは。新しい週が始まりましたね。子どもは週末のそれぞれの体験と憂鬱な?月曜日へのそれぞれの思いを持ちながら登園・登校をしているのでしょうか。そんなところにちょっとだけ気づいてあげた言葉かけをしてあげたいですね。

さてスマホについて書き始めて3回目になってしまいましたね。こんなに書くつもりはなかったのですが書き始めたらこのとおり。やはり書くときにはきちんと章立てをしてから始めないといけませんね。というか、そんな書き方してたらいつまでたっても書けなかったかもしれませんね。思ったことを書き連ねるから書けるのだと思います。これもまた理ありです。

さて、親の知恵、家庭の知恵の見せどころでしたね。
まず大切なことは、なぜスマホを子どもに与えたのか、ということなんだと思うのです。それぞれ理由があるはずですね。理由無しにこんな高価なものを持たせるはずがありませんね。便利だけれどわざわざ子どもに危険を近づけるようなものを持たせるはずはないでしょう。どんな理由で与えたのかをはっきりさせておくことが大切だと思うのです。
みんな(○○ちゃんや○○くん)が持っているからですか?
持ってないと仲間はずれにされるからですか?
自転車ではないですが今練習しないと使い方を覚えられないからですか?
きっとそれぞれの家庭でそれぞれの理由があると思うんですね。その理由さえしっかりしていれば、安全に使えるようにするための知恵は出てくると思うんですね。でも上に書いたような理由はスマホを与える理由になり得るでしょうか。それは明白ですよね。なり得ないですね。スマホをもってなくても仲間はずれになんかされないですよ。
もしもこれらがその理由だとしたら、家庭内で今一度スマホの使い方についてのルールを作るんですよ。今すぐにです。そう、「今でしょ」です。

では、早速そのルールの例を考えてみましょう。
例1:「夜9時になったら使うのをやめる」
これは前回書いた中にありましたね。すでにスマホを与えてしまった家庭用ですね。これってなかなかいいルールだと思うんですね。だいたいスマホにはまるのは夜が多いですからね。勉強してるのかなと思っていたら実はスマホで遊んでいたとかよく聞きましたね。だから9時(学年や家庭ごとに違ってよいと思います)になったら使うのをやめたとすれば、子どもを危険な淵に向かわせるのを防ぐことができると思うんですね。でもね、なんですよね。使ってないよ、って言いながらもつい手がのびてしまうのがスマホなんですね。そのためには目に見える形で使わないようなルールにすることが大切なんですね。9時になったら、家族みんなのスマホを決められた場所に置くとかですね。この「家族みんなのスマホを」のところが大人の知恵なんですよね。大人も一緒に取り組むことで子どもも家庭のルールを守れるようになるんですね。(実はこれ、そのほかすべてのことに通じるものだと思っています。

今思えば、こんなルールの提言はもう数年前に提言されていたんですね。でもそれができないんです。それが現実なんですね。
ではなぜできないのでしょう。
それは、子どもにばかりルールを押しつけて、そこに大人の行動が伴っていなかったからなんだと思うのです。もしかしたら大人も辛いかもしれませんよね、こんなに楽しいスマホですから。
でもなんですね、そう、でもなんです。大人が一緒になってというか少し我慢してですかね、子どもと一緒に行動できれば、子どもを危険な淵から引き戻させることができるんだと思えば、こんな我慢、できないはずがないと思うんですね。いかがでしょう。
行動に移してみませんか?少し辛いけど行動に移してみませんか?少し面倒だけど行動に移してみませんか?

今日も長くなってしまいましたね。引っ張っちゃいますね。例2はまた次回ということで失礼しますね。

2018年2月23日金曜日

スマホのすごさ(2回目)

昨日の続きになります。気持ちを新たに続けてみましょう。
例えば20歳の男性がスマホを使い始めて、そのまま一生使い続けたら、おいくら関係先に支払うことになるのでしょうね。とりあえず月5000円かかるとしましょう。厚労省から示されている平均余命(平成28年簡易生命表から)は61.34歳なんだそうです。すると、5000円×12ヶ月×61.34年=368万400円ということになりますね。女性なら5000×12×67.46=404万7600円。二人で使い続けたら772万8000円。平均余命はこれからさらに伸びていくことでしょうから1000万円突破もあるかもしれませんね。そして今の子どもはさらに上乗せされるんですね。やっぱりスマホはすごいですね。
あ、また脇道に入ってしまいそうですね。

さて、子どもの身のまわりに普通にあって、こんなに便利で、社会にも貢献してくれている?スマホなんですけれど、このスマホのせいで子どもをあまりにも危険な状況に追い込んでしまっているのも事実ですね。今から免許制や年齢制にしようといっても、それは社会が認めませんよね。

ではどうするか?
それこそそれが大人の知恵の見せ所なんだと思うのです。

以前学校や教育委員会に勤めていたころ、携帯電話やスマホの普及に伴って子どもが事件やいじめなどに巻き込まれることに対しての対策について話し合ったことがありました。教育委員会といってもセクションがたくさん(おもに社会教育を担当する生涯学習課、おもに運動やスポーツを担当するスポーツ推進課、図書館や文化財などを担当する文化財保護課、幼稚園や学校教育を担当する学校教育課などですね。自治体によって名称は違ってくると思いますが。)あって、この問題については生涯学習課が中心になってまとめていたと思います。そしてその話し合いの中で学校としての取り組みも求められたわけです。当時はLINEなどでの中学生のトラブルが多かったですからね。そして携帯電話やスマホの普及が小学生にも広がりを見せてきた時でもありましたから。いろいろな人たちが集まって話し合いがもたれましたね。校長先生、PTA会長さん、青少年にかかわる団体の代表の方、生涯学習課の担当者、学校教育課の担当者などでしたかね。
そして結局のところ「学校への携帯電話やスマホの持ち込みは原則禁止です」という結果になったと記憶しています。当たり前と言えば当たり前の結果なのですが、それに付随して学校内でも携帯電話やスマホの正しい使い方などのスポット的な指導が行われました。たぶん今もそうなんだと思うのですが。全市的にはチラシを作って配布したようにも記憶しています。「家庭内で使い方のルールを決めましょう」とか「9時になったら使うのをやめましょう」とか・・・・・・。たぶん、このような取り組みは全国的に行われていたと思いますね。でもやっぱり残念な事件が今も続いているんですね。事件(テレビや新聞で報道される)にはならなくても、それに近いような(表に出てこない)ことはたくさん起こっていることも考えられますね。

おっと、また脇道に迷い込みそうですね。大人の知恵の見せ所でしたよね。
要は学校でいくら取り組んだとしてもそれには限界があるということなんですね。どうしてなんでしょうか。学校での指導が足りないのでしょうか。
爺は違うと思います。学校は学校でできる指導をやってくれているんですよ。学校の味方をするのではなくそう思います。やってくれているんですよ。
今度は大人の知恵の中でも親の知恵、家庭の知恵が求められているんだと思うのですよ。親の知恵、家庭の知恵の見せ所なんだと思うんですね。そう思っています。

たかがそこにあるスマホのことなんですけれど、こんなに書いても書ききれないんですね。スマホってすごいですね。
そうそう、スマホを与えると成績(あくまでも成績、とりあえず得点としておきますね。)が必ず下がりますね。一時的な子もいればしばらく続く子もいますね。ただ、この成績=学力ではありません。ただし依存症や昼夜逆転などの症状が現れて、しかも長期化してくると学力に影響してくるでしょうね。あ、また脅かしてしまいましたかね。
長くなってしまいましたのでこの続きはまた次回ということで、今日はこのあたりで失礼します。

2018年2月22日木曜日

スマホのすごさ

スマホってすごいですよね。何がすごいかって書き始めると、いつまでたっても終わらないくらいすごいんですよ。これ、何がすごいかの答えになっていませんかね。
爺が子どものころ、こんなすごいこと想像もできませんでしたねって言うか、想像できるような環境にいなかったと言った方がいいかもしれませんね。
・電話を持ち歩ける・電話帳を持ち歩ける・文字を書いて送れる、もらえる・資料を送れる、もらえる・辞書を持ち歩ける・音楽を聴くことができる・動画を見ることができる・調べ物ができる・写真や動画を撮れる・うーん、まだまだありますよね。

でも、今の子どもからしたら、これ当然のことなんですね。これが普通の環境なんですね。だってまわりが見えるようになったその時から、大人が楽しそうに使ってるわけですから。だからみんなが欲しがる。だから大人も普通に与えてしまうんでしょうね。

一方で、「スマホは悪だ」とも言われてますね。スマホにからんだ子どもを巻き込んだ事件は後を絶ちませんね。もしもスマホがなかったらこんな事件は起こらなかったであろうことも一理あると思います。でもこれ、もしも自動車がなかったらこんな事故は起こらなかったという理屈と同じですかね。違うのは自動車は免許制・年齢制があるけれど、スマホにはないってことでしょうか。
これ、スマホに年齢制限や免許制にしようという提言ではありません。スマホはすでに社会の中で市民権を得てしまっているんですね。社会の中での市民権とは利益を得る企業としてという意味です。この利益を得る仕組みは本当に良くできていて、スマホを持つ今の子どもたちは一生の間に相当額の代価を支払うことになっているんですね。おいくらくらいになるのか計算してみたらきっと大変な額になることでしょう。このことは子どもだけに関係するわけではなくて、今の大人にも当然として当てはまるわけですけれど。
あ、また脇道に逸れてしまいそうなので、今日はここまでということにしましょうね。
危ない危ない。

2018年2月21日水曜日

ほめルンです同盟

昔、「写ルンです」っていう使い捨てカメラがありました。安いのに結構写りがいいんですね。誰でも簡単にきれいな写真を撮ることができたんです。
その写るルンですからヒントを得たわけ・・・・なんですけれど、「ほめルンです同盟」なんていかがでしょう。誰でも簡単に子どもをほめてあげられて、子どものやる気や意欲を育てていくんです。もちろん、いつもこんなこと実践してますよって言われる方がいらっしゃると思うのですが、ほめることの意識付けっていうか拠り所っていうのか、そんな感じですかね。子どもをほめて伸ばしていこうって思ってくれている大人がこんなにいるんだってことなんですね。
では、規約を考えましょう。

  1. 「子どもはほめられるとうれしい」と知っていること
  2. 「子どもをほめ続けると子どもは伸びる」と信じていること
  3. ほめるところを見つけようと努めていること
  4. 子どもと一緒に成長しようと思っていること
  5. その他

5のその他については、これからみんなで考えていけたらいいですね。
そうそう、会員ナンバーも必要ですね。001番は不肖koro爺がいただくとして、それ以降のナンバーはほめルンです同盟に自己加入したと同時に発行としましょう。自己加入ですから特に加入申請は必要ありませんね。つまり皆さんが会員ナンバー002ということですね。ややっこしいですかね。ただし、コメント欄やメールで正式申請があった場合はこの場でお知らせしていくことにしましょう。例えばお一人の申請があったとしたらその人が002ですね。そしたらそれまで自己加入だった人は003となるわけですね。なんか余計にややっこしくなりましたかね。

いずれにしてもなんですね。人前で怒られてる子ども(十歩譲って、叱られてる子ども)をよく見かけますね。人前で怒られるって辛いですよね。そう思います。そういう場面を見るととても(大人として)残念だし(子どもが)可哀想だと思うんですね。そんなのを少しでも減らしていけたらと思っているんです。

今回はちょっと戯れがすぎましたね。反省しながらも、ここに若干1名ですが「ほめルンです同盟」の結成です。でもこれは決して使い捨てではありません。ぜひみんなで子どもをほめて伸ばしていきましょう。

2018年2月20日火曜日

ほめるんです

koro爺は、子どもを伸ばす第一の基本はほめることだと思っています。ほめて伸ばすんです。最近、子どもがほめられるのを見かける場面が少なくなっているように思えるんですね。そう思いませんか?ただ、この言葉、誤解を生む言葉でもありますね。
なんでもほめれば子どもは伸びるのか、って。

子どもは認められたいんですね。第一に親ごさんから。次に家族から。そして同世代の子どもから。この認められたいという欲求は段々と広がっていくんですね。家族以外の大人や、園や学校の仲間、友だち・・・・・。これって大人だって同じかもしれませんね。
認められると、またやってみよう、もっとやってみよう、もっと工夫してやってみよう、という意欲が育ってくるんですね。そう思います。

でも、問題はそのほめ方・認め方なんですね。子どもから見たら認められ方ってうのでしょうか。
「よくできたね」「すごいね」「えらいね」が通じるうちはいいのですが、その繰り返しだけでは、しだいに子どもは見抜いてしまいますよね。「あ、ただ言ってるだけだ」「ちっともほめていない」「見てくれていない」って。
そうなんですね、何がよくできたのか、どこがすごかったのか、何ができたからえらいのかが子どもに伝わらないんですね。ここのところがほめるときのポイントだと思います。
そのためには、いつも子どもの様子を見ていることが必要ですよね。いつもの子どもの言動を見ていてこそ、今の頑張りが分かるんですよね。端から見たら、どうしてそんなことでほめるんだろうって思えることでも、ずっと見てる人からしたら、それはほんとに「よくできたね」「すごいね」「えらいね」なんですよね。

koro爺は、ほめるときのポイント、それは、どんな些細なことであったとしても具体的な言動を見つけて言葉をかけてあげることだと思っています。その一言が、次のやる気につながっていくんだと思うのです。そうです、ほめるんです。

2018年2月18日日曜日

お菓子の空き箱

段ボール箱の家が好評だったので、第二弾はこれです。

お菓子の空き箱に切り込みを入れて〒マークを書き込みました。そうです、ポストなんですね。
(あれ?ポストの〒マークって赤でしたっけ?周りが赤で〒マークは白でしたよね。失礼しました。)
すぐに作れちゃいますね。

では、どんな遊びをするんでしょうか。

koro爺:郵便屋さんです。「ブーブー、ブンブンブン」と言いながらポストに入ったお手紙を集めてお家に配達する役です。
○○ちゃんとばあば:お手紙を書いてポストに入れる役です。ばあばは配達されたお手紙を読む役もやります。この役もけっこう大変ですね。○とか×とか△、ニョロニョロなどの文字を解読?して読んであげるわけですから。

これだけのことなんですけど、これまた大当たりで、もう延々と遊び続けました。郵便屋さんが一休みしてるとポストの中はお手紙でいっぱいになってしまいますよ。例の段ボールの家の屋根の部分がテーブルがわりになってちょうどいいお手紙書きスペースになるんですね。

こんな身近な材料っていいですよね。ちょっと工夫というか手を入れるだけでいろんな遊びができますからね。それに子どものアイデア、思いつき、工夫を付け加えることができますね。おもちゃ屋さんで買ってきた物だとなかなかそうはいきませんよね。もったいないですしね。こんなおもちゃでぜひ遊んでみてください。爺のポイント上がりますよ。


2018年2月17日土曜日

段ボールの箱

おもちゃ屋さん、おもちゃ売り場ってすごいですね。それはたくさんの種類のおもちゃであふれていますね。音もにぎやかですね。店内のBGMではなくておもちゃから出ている音なんですね。電子音、人工音ていうんですかね。しかもみんなお高い。

さて、タイトルにある段ボールの箱なんです。クロネコさんで確か324円だった思うのですが、二つ買ってきたのです。

そしてその一つを孫の前で組み立て始めたんですね。「じいじ大工さんがやってきました。」って言いながら。もうその目は興味津々ですね。
そして「○○ちゃんのお家が完成!」と言うと、それはもう嬉しそうで嬉しそうで。中に入っていいよって言う前に、早速中にもぐり込んでしまいました。動物のお人形も入れたりして楽しそうに遊んでいました。
ドア?を閉めて「おやすみー」ドアを開けて「コケコッコー」って、自分なりの工夫もしていたようです。
次の日、今度はカッターで側面に切り込みを入れて、「窓の完成!」ってやるわけですよ。
適当に切り込みを入れただけなんですけれど、これがまた大受けでしたね。窓を開けて顔を出したり、窓を閉めてみたり。あ、くれぐれもカッターはすぐに片付けてくださいね。
そして、「明日はばあばのお家も作ってあげようか。」と仕掛けるんですよ。もちろん、二つ目の段ボールはまだ隠しておきました。見つけちゃうとすぐにでも作ってほしくなっちゃいますからね。
この段ボールで3日も遊べちゃうんですね。
今度は2軒続きのお家ですからね。それはもう大喜びでしたね。

そして次の日は、この段ボールのお家に水性ペンやクレヨン、色鉛筆を使ってみんなでお絵かきですよ。自分のお家にお絵かきできるんですからきっと最高の気分だったでしょうね。

たかだか段ボールの箱なんですけれど、いろんな遊びに発展できるんですね。そう、この発展性っていうか、工夫できるっていうか、表現(今回の場合お絵かきですが)できるっていうか、そんな遊び道具って面白いですよね、子どもにとってはきっと。
段ボールの箱、いいですねえ。スーパーに置いてある使い古しの大きめの段ボール箱も使えそうですね。

で、この後この家、どうなったんでしょう。
もちろん、平らに戻して部屋の隅っこに片付けてありますよ。この次お泊まりに来たときにまた遊べるようにですね。

2018年2月16日金曜日

子どもの遊び

子どもは、今どんな遊びをしているのでしょうか。もちろん、これは子どもの年齢、学年によって違うと思いますが、たとえば一番身近なご家族は、あるいは担任の先生は、どれくらい知っているのかな、と思ったりもします。
爺の孫は普段は保育園に通っているのですが、園でどんな遊びをしているのか分かりません。たまに聞くと教えてくれるのですがはっきりとしたことは分かりませんね。情報は担任の先生から発信されるときどきのメールであったり、あるいは親が直接迎えに行ったときの情報であったりでしょうか。逆に園の先生も、園を離れての孫の様子についてはきっと知らないことの方が多いでしょうね。
これって、すごくもったいないですよね。そう思いませんか?
園での体験を知れたとしたら、家庭で追体験や発展的体験を積むことができますよね。そしたらきっと、もっともっと自信をもった活動ができるようになるかもしれませんね。家庭での体験を園の先生が知ることができたら、園の活動のなかでそっと活かしてもらえるようになるかもしれませんね。

これって、難しいことでしょうかね。
園や学校での出来事を、そうですね、休み時間の出来事だとか放課後の出来事だとか、総合的な学習の時間の活動の様子とか道徳で学んだことなんかもいいですね、音楽で歌ったり演奏したりした曲や体育で挑戦していることなんかもいいですよね、そしてそんな中に「休み時間の過ごし方ベスト10」とかあったら最高ですね、そんなことを週末あたりにクラス通信やホームページなどで発信してもらえたら、家庭での「子ども育ての使えるデータ」になりますね。園の先生や小学校低学年の先生がとても苦労している毎日のお便り帳なんかよりもいいかもしれませんね。先生がお便り帳に書いてくれてる時間を子どもを見てくれたり遊んでくれたりしていてくれた方がいいですものね。そのかわりに一週間の様子を週末にちょこちょこって知らせていただけたら。
家庭からは、「週末にこんな体験をしてきました」ノートなどで子どもの体験を教えてもらうくらいで。簡単に。

おっと、また脇道にそれてしまいそうですね。子どもの遊びについてでしたね。そう、子どもの今の遊びを知ることで、たまにその遊びを一緒にしてみることで、子どもの気持ちが知れたり、子どもの体験を補充してあげられたりするんじゃないかな、って思うんです。
でも現実には、子どもがどんな遊びをしているのか、実は誰も知らなかったりして。知っているのは子どもだけなのかもしれないですね。そしてそんなところに空いたポケットにいじめなんかも隠れていたりするんですね。おっと、脅かしてしまいましたね。失礼しました。


2018年2月15日木曜日

シリウスとカノープス

星見の冬の風物詩の一つに、「カノープスが見える?見えない?」というのがあるんです。初めて聞く人もいるかもしれませんね。
カノープスという星(恒星)は、りゅうこつ座という星座にある星なんですね。(このりゅうこつ座は南半球で有名な星座なんですが、日本からだと南に低すぎて福島県あたりから南の地方でその一部の星が見える程度なので、私たちにはあまりなじみのない星座なんです。)そしてカノープスは、なんと全天で2番目に明るい星(恒星)なんです。(ちなみに1番はおおいぬ座のシリウスという星です。)そこで、このカノープスが見える?見えない?という話題で盛り上がるんですね。(一部だけだとは思いますが。)
中国では、このカノープスを特別な星として位置づけているそうです。寿星とか南極老人星とも呼ばれているそうです。この星を見ると長生きができるとか、縁起が良いことが起こるとかの言われもあるそうです。
さて、そのカノープス、koro爺は見たんですよ。これはいいことがあるかもしれませんね。で、独り占めも何ですからお裾分けとでも言いましょうか。特別にお見せしちゃいましょう。(ちなみに撮影場所の緯度は、北緯36°12′45″です。)

いかがでしょう。見えましたか?
見えない?
うーん。では、koro爺の解説をよーく読んでくださいね。

画面の下の方に森が見えますか?そう、黒っぽく見えてますね。
その森の中央に塔のような物が写っているのが見えますか?森が少しくぼんでいるところです。ライトも光っていますね。その塔の少し右上の方を見てください。いかがでしょう。小さな点が見えますでしょうか。これがカノープスなんです。さすがにこの低さではなかなかお目にかかれませんね。少しでも雲があったりすればアウトですね。しかもこの星が見えやすいのは冬の今頃なんですね。それだけレアな星なんですね。
ちなみに、画面の上の方で明るく見えているのが全天で一番明るい星シリウスです。
動画(4K対応なのでWi-Fiなどでのご試聴をお勧めします)を見るともう少し分かりやすいかもしれません。こちらからどうぞ。

またまた星見ネタになってしまいましたが、今回も良いわけを一つ。
1番の子はもちろんのこと、2番、3番・・・・の子どものよさっていっぱいあるんですね。そんなところもぜひほめてあげてほしいなと、そう思うわけなのであります。

2018年2月14日水曜日

夏の大三角形

2月なのに夏の話なんです。
実はこれ、昨日書いた朝の散歩にも関係があるんですね。写真の中にあったサソリ座なんですけど、あの星座は夏を代表する星座の一つなんですね。でも、明け方にはもう夏の星たちが出ているんですね。(早起きは三文の得?でもマイナス3.5℃ですからね。)
で、夏を代表するって言えば、夏の大三角形でしょう。こと座のベガとわし座のアルタイル、そしてはくちょう座のデネブを結んでできる三角形なんですけれど。
昨日の散歩での目的の撮影が終わった後、東の空を見ると、その大三角形が見えていたんですね。せっかくなのでカメラを東に向けて撮ってみたのがこれなんですけれど、三角形が分かりますでしょうか。
見慣れている人ならともかく、初めての方だとなかなか難しそうですよね。
小学生高学年くらいならば、「この中に三角形があるらしいんだけどどこかなあ」などと仕掛けてみたらいかがでしょう。(実際にダウンロードして印刷して使ってみてください。)
パッと気づく子、じっくり考える子、分からない!と言ってあきらめる子、見向きもしない子もいるかもしれませんね。
そこで次の仕掛けですね。「ここに写っている星たちって夏の七夕様に関係があるんだってね」と一言加えるんですね。すると子どもの脳には「大三角形は夏、そして七夕の星」ってインプットされると思います。そしてそのインプットされた言葉(知識の元)が、いつかのタイミング(たとえば図書室で星の図鑑などが目にとまったときなど)で、今度は行動(図鑑を見るなど)としてアウトプットされるんですよ。この行動が学ぼうとする・知ろうとする意欲なんですね。そして実際に見たり調べたりした結果として、その子の確かな知識となって身に付いてくるのだと思うのですね。
もちろん、すべての子に当てはまることではないのですが、こういう仕掛けの積み重ねはいつか芽となって出てくるものだと爺は常々思っているんですね。

上の写真に線を引いてたら、こんな感じになりました。
三角形の上の頂点にある星が「こと座のベガ(おりひめぼし)」、右下の頂点にある星が「わし座のアルタイル(ひこぼし)」、左の頂点にあるのが「はくちょう座のデネブ」なんですね。

あ、今回もまた星見ネタになってしまいましたね。
まあ、良いわけにするとしたら、空の上では、すでに夏の準備が始まっているということでしょうか。今の仕掛けが夏ごろに効いてくるってところでしょうかね。
夏に向けて、あわてずに、でもしっかりと子ども育てを続けてまいりましょう。

2018年2月13日火曜日

朝の散歩

朝の散歩と言っても別に爺の日課にしているわけではありません。明け方東の空に、火星・木星・土星が並んで見えているそうなんですね。ついでに細い月も見えているとか。
そんなわけで、昨日早起きして家内も道連れに散歩に出かけてきたのです。
目覚まし時計は3時30分。家を出発したのが3時40分。現地に到着したのは4時少し前。気温はなんとマイナス3.5℃でした。

そしてこれがその時の証拠の写真です。

2018年2月12日
午前4時11分43秒
リコーGXR+28mmF2.5で4秒間

<解説>左下に月が見えますね。露出オーバーで太って写ってしまいましたが実際には細い逆三日月でした。その少し右に見えるのが土星です。画面の右上の方に明るく見えているのが木星です。この土星と木星を直線で結んだ線上に見える少しオレンジ色の星が火星です。この火星は今年の7月に地球に大接近するんですね。ついでに火星の右斜め下に同じくらいのオレンジ色に見えているのがサソリ座のアンタレスという恒星です。

こんなわけで今回は星ネタでした。でも一枚の写真を説明するって、けっこう難しいものですね。うまく伝わりましたでしょうかね。あ、こういう課題も書く力を育てるのに有効かもしれないですね。自分で撮影した写真ならば余計に意欲が湧いてくるかもしれないですからね。

2018年2月11日日曜日

ごっこ遊びのすすめ

小さい子(そうですね、2才前後からのお子さんでしょうか)って、ごっご遊びが好きですね。たとえば、お店やさんごっこ・八百屋さんごっこ・ハンバーガー屋さんごっこ・美容室ごっこ・お料理ごっこ・病院ごっこ・救急車ごっこ・運転手さんごっこ・郵便屋さんごっこ などなど、まだまだたくさんあると思います。
この、ごっこ遊びって、ちょっとだけ付き合うのはいいんですけれど、子どものエネルギーは無尽蔵ですからね、ずっと付き合うとなるとそれなりの覚悟がいりますよね。「まだやるの?もうお休みしない?」なんてこともありませんか?
でもね、この、ごっこ遊びって、子どもの成長にとって、とても大切なこと、大切な体験だと思うのです。子どもは、突然、この○○ごっこを始めませんよね。出かけたときにいつも見る現象であったり、身近な人がいつもやっていることであったり、これらは子どもが小さいながらも自分の目で見たことなんですね。そして自分でもやってみたいな、と思ったことなんだと思うのです。つまり、やってみたいという気持ちなんですね。やってみようとする意欲なんだと思うのです。この気持ちや意欲の積み重ねが、いずれ学ぼうとする意欲・学ぶ意欲の礎となってくれるのだと思うのです。
それから、ごっこ遊びの中には子どもの工夫や創造性が含まれているんですね。自由な発想っていうんですかね、大人では考えつかないことを始めることもありますね。そんなところから考える力の芽生えっていうんでしょうか、育っていくんでしょうね。大事にしてあげたいですよね。大切に育ててあげたいですよね。逆にその芽を摘むのって簡単ですね、「何やってんの?そんなことしちゃダメ。汚れちゃうでしょ。こわれちゃうでしょ。こらっ。」の一言です。
だから、大人にとっては面倒くさいところはあるかもしれないですが、ぜひともこのごっこ遊びに思い切り付き合っていただきたいなと思うのです。
近頃の小学生には、このごっこ遊びの経験が少なかった子が多いとも言われています。初期のごっご遊びは1対1とか1対2とか、限られた人数で始めますからね、特にご家族とのごっこ遊びですね。この経験が少ない子が保育園や幼稚園での少し大きい集団でのごっこ遊びの中に入るとしたら、そのお子さんにとったらハードルがちと高いかもしれませんね。そんなところからも、「うちの子はなかなかみんなの中に入っていけなくて・・・・」という状況が生まれてくるのかもしれませんね。そしてそれは小学校へと引き継がれていくのだと思うのです。小学生になると、もうれっきとした集団生活ですから、その中に馴染んでいくのは、これまたハードルが高くなりますからね。そんな意味でも、大人も一緒になって、(ごっこ遊びの時間をつくって)ごっこ遊びを楽しんでほしいと思っています。

2018年2月9日金曜日

良いわけ

koro爺は学校関係者だったのに、学校に厳しいのではないですか?といご意見をいただきました。
うーん、そういえば学校にかかわる事件についての記事が多いですね。
今日はそこのところを少し書いてみますね。
結論から言えば、子どもの味方でもあり学校(先生)の味方でもあるのです。そう思っています。

学校は社会の縮図でもあり、また社会に出て行くための準備の場でもありますね。そのために学校教育法にのっとった教育活動を行っているわけです。教えるのは先生たちですが、学ぶのは子ども、これから社会に出て活躍していくのも子どもなんです。そのために学校で生きる力や学力を身につけ、夢を育んでいるんですね。いわば子どもは社会からお預かりした大切な財産なんですね。ですから学校の主役は子どもであるはずなんです。このことは誰もが認めるところだと思います。その大切な子どもが一部の大人の無理な押しつけや明らかに理不尽な暴力などによって夢や意欲をそがれようとしていたとしたら、それは誰かが助けてあげなければならないですよね。応援してあげたいですよね。そう思います。だから爺は絶対的に子どもの味方なんです。
一方、学校では、その子どもたちがよりよく成長していってくれるようにと、校長先生を先頭にして先生たちが日々一生懸命頑張ってくれているんですね。ところが、たまにというか時々というか、残念な事件が起きてしまう、起こりそうになっているのもまた事実ですね。きっとみんな一生懸命頑張ってくれているだろうに、その「たまに」や「時々」のためにですね、それまでのがんばりの積み重ねがすべて崩れてしまうんですね。ほんのちょっとしたことが原因ですべてを失ってしまうんですね。すべてを失うっていうのは、それまで(事件が起きるまで)子どもが積み上げてきたものであり、先生が積み上げてきたものでもあるわけなんですね。だからそのほんのちょっとしたことに気づいてもらいたいんですね。早く気づいて、その「たまに」や「ときどき」をなくしてもらいたいんです。みんなに気づかせてほしいんですね。そしたらみんないい先生になれますよね。だって子どもたちのために本当に一生懸命頑張ってくれているのですから。本来ならば、これ教育委員会の仕事であり校長先生の仕事だと思うんですね。でもこれまた多忙な日々が続いていて、子ども目線の気持ちや親目線の思い、一般の人の見方になかなか気づきずらいっていうのでしょうかね、忘れがちになってしまう、そんなときがあると思うんですね。だからこんな爺のような見方もまた、少しはお役に立てるのではないかと、そんなことも思いながら書いているんですね。

老婆心、いや老爺心ってところでしょうか。だから、子どもの味方であり学校(先生)の味方であると思っているのです。これ、いいわけでしょうか、それとも良いわけでしょうか。これからも、学校の事件についてはこんなスタンスで書いていきたいと、そう思っています。

2018年2月7日水曜日

読み聞かせ(続き)

昨日書いた読み聞かせ、少し長かったですね。言いたかったのはこんなところなんです。

園や学校では、地域のボランティアさんなどの力を借りて、読み聞かせが盛んに行われています。本当にありがたいことですね。
でも、この読み聞かせが一つの現象面のことがらだけで終わってしまっているのではないかということなんです。だとしたらすごくもったいないことですよね。
園や学校で行われる読み聞かせの本質は、この活動を学校全体の読書活動の推進にどう結びつけていくかというところにあると思うのです。やっている(やってもらっている)だけでは実にもったいないですね、ボランティアさんの時間も学校としての時間ももったいないですものね。
園や学校の子どもの読書活動について、たとえば読書量が極端に少ない子への働きかけはどうなっているか、読み聞かせの時の子どもの表情を図書室に向かわせるための仕掛けはあるか、個々の読書量の推移はどうなっているか、司書教諭の具体的な活動はあるか、文科省の現状分析からの改善はあるか、などの視点から今一度チェックしてみることも大切なことだと思います。特に、読み聞かせの時の表情を図書室に向かわせるための仕掛けがあったら、読み聞かせ活動の意義がさらに重要になってくるに違いないですね。

そうそう、園や学校と書いていますが、園の場合は、園での読み聞かせをどうやって家庭での読み聞かせにつなげていくかというところが学校とは少し違うところだと思います。もしも園から、園での読み聞かせ活動の紹介に加えて家庭での読み聞かせもいかがでしょうか、などとアナウンスされていたとしたら、その園て素晴らしいところだと思いますね。

そしてもう一つ。園と小学校、あるいは中学校も一緒になって、地域をあげてとでもいいましょうか、読み聞かせという視点から読書活動の推進ができたらいかがでしょう。これもまた夢のある子ども育てだと思います。

2018年2月6日火曜日

読み聞かせ

園や小学校でも、この「読み聞かせ」を行っているところが多いと思います。koro爺が勤めていた小学校でもボランティアさんのグループが行ってくれていました。この読み聞かせの時間に廊下を歩きながら見ていると、子どもが一生懸命聞いている姿が見えるんですね。ほとんどの子どもはこの読み聞かせが好きなんですね。
で、どうして読み聞かせをやっている(やってもらっている)のでしょうか。読み聞かせの効果はどんなところにあるのでしょうか。
1 聞く力を養うことができる。
2 集中力を養うことができる。
3 心を落ち着けることができる。
4 言葉から想像する力を養うことができる。
5 文章の理解力を養うことができる。
6 本に対する興味を育てることができる。
7 地域の人(他の人)との交流を図ることができる。
確かな検証を行ったわけではないですが、1,2,3,7あたりは、爺の観察からの主観ではありますが、着実な効果があると言えますね。「着実な」というのは、1,2回ではなく数年間の積み重ねがある中でという意味です。4,5については何とも言えないですね。どこかの附属小学校あたりでの検証を期待したいですね。
さて、6についてはどうでしょう。これについては、こんな結果があります。学校の司書さんからの聞き取りなのですが、「読み聞かせ」の後には、読んでもらった本や同じような本を探しに来たり、読んだり、借りていったりする子どもが増える、というものです。このことからも6の効果もあるようですね。でもその子たちは、全体からしたらほんの一握りなんですね。ふだんから本が好きな子、読書好きな子が多いらしいんです。すると、その一握り以外のほとんどの子どもには6の効果はあまり期待できないということでしょうか。いや、爺は、園や学校で行う読み聞かせの本質はここにあると思うのです。

文科省は、平成12年前後から、次のような方針を打ち出しました。(文科省ホームページから)
<子どもの読書活動の重要性>
○読書活動は、子どもが、言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことのできないものです。
 ○平成12年12月の教育改革国民会議報告においても「読み、書き、話すなど言葉の教育」を重視すべきことが提言されています。
<現状>
○テレビ、ビデオ、インターネット等の様々な情報メディアの発達・普及や子どもの生活環境の変化、さらには、幼児期からの読書習慣の未形成などにより、子どもの「読書離れ」が指摘されています。
 ○平成14年5月に行われた調査(社団法人全国学校図書館協議会による)によれば、児童生徒の1ヶ月の平均読書冊数は、小学生が7.5冊、中学生が2.5冊、高校生が1.5冊、また、1冊も読まなかった子どもたちの割合は小学生9%、中学生33%、高校生56%となっており、中学校以降極端に読書量が減少しています。
 また、平成12年に行われた経済協力開発機構(OECD)生徒の学習到達度調査によれば、「趣味としての読書をしない」と答えた生徒は、OECD平均では31.7%ですが、日本では55%となっており、「どうしても読まなければならないときしか、本は読まない」と答えた生徒は、OECD平均では12.6%であるが、日本では22%となっています。

これを受けて、様々な政策が進められてきたのですね。
たとえば、図書室の蔵書量を増やす、司書の養成、司書教諭の配置、社会教育との連携などです。
長くなってしまいましたが、結論として、園や学校では、読み聞かせをとおして子どもの本に対する興味を育てること、読書をとおして言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていくことが求められているんですね。具体的なところでは読書量を増やすこともですね。ここのところを見失いがちになっている園や学校もあるかもしれません。このあたりをせっかくの司書教諭が中心となって子どもの読書活動を推進していくことが今改めて求められているのだと思います。

最後に大切なことを一つ。
園や学校とは関係ない、家庭での読み聞かせっていいですね。子どもの情操を豊かにしたり、話を聞く力を育てたり、そして何よりも親子のコミュニケーションが豊かになりますからね。毎日できなかったとしても、たまにでも、思い出したときにでも、ぜひ読み聞かせてあげてください。
こう言うkoro爺も2才の孫にたまにやるのですが、最近ではこんな絵本が好評でした。
「でんしゃにのって(うららちゃんののりものえほん)」(とよたかずひこ著)
それで調子に乗って、本屋さんを巡ってうららちゃんシリーズを探したのですが、意外と置いてないんですね。アマゾン、おそるべしです。参考にリンクを貼っておきますね。

  

2018年2月5日月曜日

子どもに振り回される

そんな気持ちになったことってあるのではないでしょうか。
子どもが言うことを聞かない、子どもの思うとおりにしないと怒り出す・プッとする、じっとしていない、動きが速くておいつけない・・・・。こんなことってありますよね。
そんなとき大人はどうしたらよいのでしょうか。
koro爺はこう考えています。
大切なことの一つ目は、「決してあきらめないこと」です。もうダメだ、私にはこれ以上できない、と思い込んで、子ども育てを放り出してしまってはいけないですね。(まあ、たまにはそんな時がたまにあってもありだとは思いますけど、ずっとそんな状況が続いてはいけないですね。)では、あきらめないでどうするか。そうですね、あきらめないで子どもに相づちを打ったり、しかったり(怒ったり、ではありません)、あるいは一緒になって振り回されてみたりするのです。
そう、一緒になって振り回されてみるのって、意外と効果があるものですね。なぜならば、一緒になって振り回されるって、子どもの気持ちと一緒になれてるってことだと思うのですね。一緒になって振り回されながら、今日は何か楽しいことがあったのかな・つまらないことがあったのかな・欲求不満なことがあるのかな・今何をしたいのかな、などと思うことができたら、きっと振り回していることの原因に近づけるかもしれないですからね。そんなことを思えるときって、きっと子どもの立場になって考えられてるときなんだと思うのです。振り回している子どもの立場になって、子どもの環境(学校や家庭など)を考えてあげるのですね。これが大切なことの二つ目なのです。もちろん、そんなときって、大人自身にも余裕ができているときなんですけれど。そう、大人も忙しくていっぱいいっぱいの時って、子どもに振り回されるって思うことが多いように思うのですね。この、余裕を持つことが三つ目の大切なことなんだと思うのです。大人って、知らないうちにいっぱいいっぱいになっているときってよくあるものですからね。ときにはこうして子どもと一緒に振り回されてみるのも、余裕を取り戻す方法の一つかもしれないですね。

2018年2月2日金曜日

スマホの画面

スマホやタブレットを見ていると静かにしている子どもさんはいませんか?
そんなときのお子さんを見てみてください。きっと瞬き(まばたき)しないで集中していると思います。この姿を見て、「うちの子はこんなに小さいのにスマホを操作できるんです」とか「こんな小さいのに集中できるんです」とか話している親ごさんもいるとかいないとか。
瞬きをしないで画面を見ているときの目ってどういう状態なんでしょう。カメラで言ったら、シャッターを開いたままにして光をフィルム、いや撮像素子ですね、そこに当て続けているってことでしょうか。では人間では?網膜ですかね、そこに光が、しかも見えないくらいの速さの点滅した光(LEDってそうでしたよね)かもしれませんね、目に有害だと言われるブルーライトもですね、そんな光が網膜に当たっているんですね。当たり続けているんですね。視力に影響が出ますよね、きっと。
そしてその網膜は脳につながっている・・・・・。これってどうでしょう。怖いことだと思いませんか?未成熟というか、無限の可能性を持ったこどもの脳にこんなことをされていたとしたら、いい影響があるはずはないと思うのですね。ちなみに大人の脳の発達はピークを過ぎているでしょうしね。あるいは目が疲れたのを認識できたり、目に悪いことを自覚できたりできますから、さすがに途中で休みますよね。でも小さい子どもにはそれができないんですね。ずっと見続けてしまうんですね。さすがに見疲れて眠ってしまうこともあるでしょうが。網膜に当て続けながら眠ってしまうんでしょうね。
そう、電磁波っていう言葉も聞きますね。この電磁波、小さい子ほど脳に影響しやすいとう研究もあるそうですよ。スマホが急激に普及してきて、この電磁波が人の脳や人の成長にどんな影響があるのか。それは今のところ誰にも分からないんですね。それは今の子どもたちが数年後、数十年後になって明らかになってくることかもしれないですね。今の子どもたちを使って臨床実験中?これってほんとに恐ろしいことだと思いませんか?

もしも、もしもですよ。こんな環境に置かれている子どもがいたとしたら、すぐにでも改善してあげてほしいですね。みんなでぜひ話し合ってほしいですよね。注意しあってほしいですよね。koro爺はそう思っています。
怖いのは、こういう状況にいるお子さんの親ごさんは、子どもが静かにしているので洗濯やらお掃除やら別のことをやっていることが多いんですね。親ごさんの目が届いていないから子どもはこういう状況を続けているんですね。ずっと続けているんですね。そしてこれからも続けていくんでしょうね。見ていたとしたら、いいタイミングでほかのことに関心を向けさせるとかして、スマホからお子さんを遠ざけるはずだと思うからです。だって大切なお子さんの将来がおびやかされているんですから。

ぜひみんなで、スマホやタブレットの画面に集中している子どもたちを救ってあげましょう。スマホが悪いんじゃありません。こういう事実を知らない大人が多いということなんです。早く事実を知って子どもの環境を改善していきましょうということなんです。みんなで考えていきましょう。みんなで話し合っていきましょう。みんなで行動していきましょう。すぐにです。そう思います。




2018年2月1日木曜日

スーパー・ブルー・ブラッドムーン

天気予報では、ほとんどのところで曇りが予想されていた昨夜の天気でしたが、予報が見事に外れて皆既月食を見ることができました。途中、雲がかかったりしたのですが、まずまずの皆既月食日和だったと思います。
皆さん、いかがでしたか?大人はもちろんなのですが、お子さんにどんなふうに仕掛けたのでしょう。こういう滅多にない体験を積ませていくことは、子どもの学ぶ意欲、いえ、学ぼうとする意欲ですね、を育んでいくために有効であると思っています。

koro爺もがんばって観察しましたよ。

2018年1月31日21時56分
口径210mm、焦点距離1200mmの反射望遠鏡に、リコーGXRを接続して撮影しました。

皆既月食中の月の色について、よく赤銅色と言われます。でも説明の中で急に赤銅色って言われてもですよ、子どもはイメージできるでしょうかね。大人だってそうですよね。やはり実際に見て体験したことがある子には、その言葉のイメージが伝わってくるんですよね。「赤っぽい?」違うんだよなあ。「赤黒い?」うーん、どうだろう。「赤銅色?」そんな色見たことないけど、皆既中の月の色なら何となく分かるよ、イメージできるよ。きっとこの子には学ぼうとする意欲がわき出てきますね。調べてみよう、もっと勉強してみようかなと、そんな気持ちになるかもしれませんね。

一つの事柄(事象)を手がかりにして、子どもにどう仕掛けていくか。これがkoro爺流の学ぶ意欲(学ぼうとする意欲)を育て方なんです。今回は皆既月食、しかもスーパー・ブルー・ブラッド(ロゼ)ムーンという特別な事象でしたが、事象は周りにごろごろしていますね。またそれを見つけるのも子どもを育てる大人の仕事でもありますね。爺はそう思っています。



スノームーン

2月の満月はスノームーンとも呼ばれるそうですね。せっかくだから満月の予報時刻である2月17日午前1時57分を狙って撮影してみました。 西よりの風が強くなったなかでの撮影となりました。 まさにスノームーン。凍てつくように輝く、実にきれいな月でした。 昨日16日の月をアップし忘れ...