2018年8月4日土曜日

いじめ自殺

2016年に青森市の中学2年生がいじめを訴えて自殺した問題に対す報告書が出されましたね。
河北新報 ONLINE NEWS(2018年08月03日金曜日)には以下のようなことが書かれていました。

  • 中1の6月ごろから、同級生などから仲間はずれにされ、常態的に「うざい」「きもい」などの暴言を吐かれるようになった
  • 男子生徒との関係をからかわれた
  • 会員制交流サイト(SNS)上でも容姿をやゆしたあだ名で悪口を言われていた
  • SNS上で「多勢に無勢」の状態に置かれて強いストレスを感じ、倦怠(けんたい)感を抱える起立性調節障害を発症したことなども「いじめの材料となった」
  • 学校に対しては、生徒間のトラブルを把握しながらもいじめの認識が薄く、組織的対応ができていなかったと指摘
  • 再発防止策として、多様な窓口の設置、児童生徒への継続的な対応などを明記
  • 教育長は「ささいな事でもいじめが背景にあるのではないかという意識を持って具体的な対策を確実に行う。二度といじめで命が失われることがないよう指導を徹底する」と話した
テレビのニュースでも放送されていましたので見た方もいらっしゃるのではないでしょうか。そしてどんなことを思われたでしょうか。
爺はこんなことを思いました。

一つ目は、お子さんが置かれていた状況についてです。
1年以上もの長い期間このような状況に追い込まれていったお子さんの気持ちを想うと、私の言葉では言い表せないほどの悲しみと怒りを覚えます。悲しみは、このお子さんが亡くなられたことです。だれもお子さんの側にいてあげられなかったことを想うと余計にそう思います。心からご冥福をお祈りします。怒りは、このお子さんの気持ちに気づかず追い込んでいった子どもたちの行為です。会員制交流サイト、たぶんLINEでしょうね。でもLINEが悪いんじゃないんですね、悪いのはこのいじめに加担してしまった子どもたち、その心なんだと思うんですね。人の心の中には確かに善と悪が混在しているんですね。何かのきっかけで心の奥に潜んでいた悪が表に出てくるんですね。こんなことを書くとなんか宗教じみてきてしまいそうなのでこの辺りにしておきますが、皆さん、どうでしょう。そして子どもたちにスマホを与えてしまった、管理しきれなかった大人たちにもですね。

二つ目は、いじめに対する学校の対応についてです。記事によると、学校は生徒間のトラブルを把握していたんですね。でも、もしかしたら「よくあるトラブルの一つ」と軽い対応になっていたのかもしれないですね。いじめって、こういうところから進行していくんですね。そしてだんだんと過激になっていくんだと思うんですね。先生たちのこれまでの経験では推し量れないような、そんないじめが見えないところで深いところで進行しているのが今のいじめなんだという認識をもつ必要があるのだと思うのです。今の教師の、教育関係者の資質として、こんないじめに敏感になれる感覚を磨いていく必要があるんだと思うのです。

三つ目は、指導の徹底についてです。教育長さんは、「ささいな事でもいじめが背景にあるのではないかという意識を持って具体的な対策を確実に行う。二度といじめで命が失われることがないよう指導を徹底する」とコメントしたそうです。当該教育委員会の教育長のコメントとしてはこれ以上ないものだと思います。特に前半の部分、「ささいな事でもいじめが背景にあるのではないかという意識を持って具体的な対策を確実に行う」には意味がありますね。これは誰に向かって行っているのかと言えば、一人一人の教職員に向けてのものだと思うんですね。職員一人一人が、些細なこと(つまり子ども間の些細な言動やトラブルなど)に敏感になれ!気づこうとするアンテナを張れ!という意味だと思うんですね。でも果たしてどれだけの教職員がこの意味に気づけるでしょうか、いや失礼しました、気づかなければならない!ですね。もしも気づけなそうな職員がいたとしたら、校長先生は何度でも機会あるごとに指導していけ!ということだと思うのです。付け加えておくならば、子どもだけでなく先生の言動や暴言から派生する事件も少なくないという認識も忘れてはいけないことだと思っています。
そして、言葉だけでない具体的な行動として、継続的な指導と評価が必要だと思うんですね。そこまでできてこその指導の徹底だと思うのです。そう、継続的な指導と評価が必要だと思うんですね。

そして四つ目は、「今回のことは氷山の一角だ」という認識をもてるかどうかがポイントだということです。今回は本当に残念ながら最悪の結果になってしまったが故に、こうしてメディアに取り上げられたのだと思います。でも現実の問題として、ここまで行く前の状況に追い込まれている子どもがまだまだいるのではないかと思うのです。「私の園・学校、クラス、家にはいない」という前提ではなく、表面的には見えなかったとしても、いるかもしれないという前提に立って、定期的に子どもの様子やクラスの様子、部活動の様子、職員の様子、そして家庭での様子などを見つめ直してみることで、こうして追い込まれてしまっている子どもを少しでも救うことができるのではないかと思っています。そしてこうしたそれこそ些細な取り組みの継続がいじめの根絶につながっていってくれるのだと、そう信じています。

一つの出来事を表面的な事実だけでとらえるのでなく、その出来事の本質を見ようとする目が求められているのだと思うんですね。「二度といじめで命が失われることがないよう」ではなく、「こうして追い込まれる子どもが出ないよう、少なくとも学校生活の中では皆がいじめそのものを悪として認識し合い追放できるよう、不退転の覚悟で立ち向かう姿勢と本気の取組」が求められているのだと思うのです。

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